2011年6月10日
 亡きがらを埋葬した施設は、平らな板石を長方形に組み合わせた「箱式石棺(はこしきせっかん)」であることを確認しました。

 「ふた」となる石はすでに失われており、石棺の中には土が詰まっています。今後の調査で、棺の中から埋葬された人物や、埋葬された時期を知る手掛かりとなる遺物が出土することを期待しています。
2011年6月9日
 もともとやせた尾根の上につくられており、古墳をつくるときに盛った土も十分に突き固められていなかったようで、盛り土は長年の風雨でほとんど流れ落ちていました。そのため、古墳の形は今のところはっきりしません。

 ただ、これまでの調査で、古墳をつくる時に尾根の高い側に掘られた空濠(からぼり)が確認されているので、この濠のまわり方を調べれば、もとの古墳の形を推定することができそうです。
2011年6月8日

 国道181号岸本バイパスの建設地で行っている発掘調査です。
 日野川の左岸には、伯耆町、南部町、そして米子市にまたがり、南北に延びる「越敷山(こしきさん)」と呼ばれる広大な丘陵があります。
 この丘陵の上には無数の古墳がつくられているのですが、それらの古墳を総称して「越敷山古墳群」と呼んでいます。

 今回調査している金廻古墳群も、この越敷山古墳群の一部をなすもので、越敷山から日野川に向かって北東に延びる尾根の上に、小さな古墳が並んでいます。

 古墳群は、眼下に日野川、東に目を転じれば秀峰大山を望む絶景の地にあり、これまでに、調査区の中で6基の古墳を確認しました。