重機による表土剥ぎがはじまりました。
今年は平成25年度と26年度に調査した場所の隣接地を調査します。
これまでに見つかった弥生時代から古墳時代にかけての集落跡のつづきが見つかることが予想され、今から楽しみです。
重機による表土剥ぎがはじまりました。
今年は平成25年度と26年度に調査した場所の隣接地を調査します。
これまでに見つかった弥生時代から古墳時代にかけての集落跡のつづきが見つかることが予想され、今から楽しみです。
本日より作業員さんも加わり、、いよいよ本格的に調査のはじまりです。
現在、鍬や鋤などで畑を耕す際に出来た溝状の耕作痕跡を見つけています。
3区では、弥生時代終末期~古墳時代と考えられる川の砂の中から、めずらしい木製品が出土しました。
残りが悪く、全体の形はわかりませんが、表面が赤く塗られていたことがわかります。
また木が木目に沿って割れないよう、養生するために紐を通す穴が沢山あることから、盾と考えられます( ^ ^ )/
松原田中遺跡15(5区)では、自然砂層の上面である最終遺構面(第7面)の調査がたけなわです。
昨年度に調査を実施した南に隣接する2区(調査面積1080㎡)の第7面では434個もの遺構が現れ、記録作業に大わらわでした。
今年の5区(約800㎡)でも、調査が3分の1ほど進んだ段階で早くも200個以上の遺構が見つかっています。
5区最終遺構面(第7面)でのトピックとしては、調査区北東部の最も低くなった所から、約3mの間隔で、2本の柱状の長い木材が出土したことがあげられます。
これまでの松原田中遺跡の調査でも同様の遺構が6か所で見つかっており、「地中梁(ちちゅうばり)を伴う掘立柱建物」と評価されています。
上から見ると、溝状のくぼみの中に地中梁が平行して据えられていることがよく分かります。
左の材の長さは2.2mで、写真手前の先端が斜め45度にカットされています。
右の材は2.4m以上ですが、打ち込まれた鋼矢板によって断ち切られ、写真奥側では跳ね上がっています。
ただし、先端の位置が左の材に較べてずれていることが少し気にかかります。
さらに、上記の「地中梁」から数m西でも、別の地中梁が見つかりました。
現在は、地中梁と地中梁がすえられていた溝との関係を明らかにするために、溝の平面と断面とをあわせて検討しています。
この地中梁の東端近くでは、その上に柱根が据えられた状態を検出できました。
この写真に写っている地層は溝の縦断面ですが、これから横断面も観察します。
調査は日々進行しており、この地中梁の北側約2mにある柱列との関係も、これから把握していく予定です。
5区でまた、新たな発見がありました。
松原田中遺跡では、これまで地中梁を伴う布掘建物がこれまでたくさん見つかっていましたが、今回の布掘建物はなんと地中梁の上に柱が立った状態で見つかりました。
組み合わせ方はこれまでの推定どおり、柱の下面をコの字形に削り、地中梁の上に落とし込むという方法が用いられていました。
地中梁に柱を伴う発見例としては新潟県佐渡市の蔵王遺跡に次いで全国2例目となる貴重な調査となりました。
5区の調査が終了しました。
今後は東側の現道下(6区)を調査するため、調査が終了した5区に迂回路を造る工事が始まる予定です。
迂回路が完成したので、本日より現道下の6区の調査を開始します。
本日、現地説明会を開催して、97名の方々が訪れました。
見学者の方々はいずれも担当者の説明に熱心に耳を傾け、遺跡を間近に感じ取っていただけたようです。
現地説明会が終われば、調査はいよいよ大詰めです。
現道下の調査区である6区の調査が終了しました。
80㎡という狭い面積ではありましたが、最終遺構面では220基もの遺構が見つかったほか、布掘建物が2棟も見つかりました。
本日をもって3区の調査が終了しました。
平成22年度以降、4次にわたる松原田中遺跡の現地調査もこれで完了となりました。