2011年7月26日

 室町時代から江戸時代初め頃(約500〜400年前)の水路で、人頭大の石がたくさんみつかりました。この下には水路がつくられる前に流れていた川の跡があって、他のところに比べて地盤が弱くなっています。石は水路が崩れないよう補強するために置かれたようです。

 写真の中央にいる人は石の写真撮影をしています。
 これからたくさんの石を図面に記録するのですが、一つ一つの石をその場で描くのは時間がかかります。
 そこで、最近では、図面作成を効率的に行うために、デジタルカメラで撮影した画像を利用しています。
2011年7月15日

 前回おしらせした、室町時代から江戸時代初め頃(約500〜400年前)まで使われた水路の調査が終わりました。写真は南から撮影したもので、青く塗った部分が水路です。
2011年6月30日

 高住地区で水田整備が行われた昭和50年頃まで使用されていた農業用水路の跡がみつかりました。さらにその下には、室町時代から江戸時代初め頃(約500〜400年前)の水路がみつかりました。どうやら、この場所には500年以上の長きにわたって水路が存在していたようです。高住地区の田んぼを潤す重要な水路であったと考えられます。
2011年6月14日

 先日、さまざまな暗渠があることを紹介しました。その中には、丸太を利用したものや、竹を利用したものがあります。
 2本の丸太を並べ、その上に小さな横木をわたした暗渠が古く、竹を利用した暗渠はそれよりも新しい時代につくりなおされたものです。
 現在の暗渠にはビニール管や陶器でできた管が利用されていますが、田んぼの水を排水するため、いろいろな材料を使いながら、試行錯誤が繰り返されていたことがわかります。
2011年5月25日

 ショベルカーでの掘削が終わったところから、作業員さんにスコップで掘り下げを始めてもらいました。

 すると、「小さな土器がみつかった」との声。
 みれば、ちょこんと手のひらにのるぐらいの、口の部分が大きくラッパ状に開いた土器。

 近くからはほかに何もみつかっていません。いったい何のために使われたものなのでしょうか?
 これからの調査がたのしみです。
 
2011年5月24日

 新しい水田の土をショベルカーで掘り下げていると、幅50cmほどの筋が縦横にみえてきました。これらは、水田の余分な水を排水する暗渠(あんきょ)とよばれる施設で、明治時代以降のものと考えています。

 暗渠には素焼きの土管を使ったものやビニール管を使ったもの、竹や木を使ったものがありました。つくられた時期によって、使う素材やつくりかたが違っていて、つくった人々がいろいろと工夫したことがわかります。