本年度の高住井手添遺跡の発掘調査は昨年度調査からの続きになります。
5月中旬から昨年度の調査終了時に埋め戻した土と土のうを除去し始めました。
土のうの下には昨年度見つかった弥生時代中期(約2100年前)の溝(14溝と26溝)と、溝の中に作られた木製構造物が隠れています。もうちょっとで一冬越した遺構のお目見えです。構造物の杭や板は無事残っているでしょうか?
本年度の高住井手添遺跡の発掘調査は昨年度調査からの続きになります。
5月中旬から昨年度の調査終了時に埋め戻した土と土のうを除去し始めました。
土のうの下には昨年度見つかった弥生時代中期(約2100年前)の溝(14溝と26溝)と、溝の中に作られた木製構造物が隠れています。もうちょっとで一冬越した遺構のお目見えです。構造物の杭や板は無事残っているでしょうか?
近世頃の耕作土から「耳環(じかん)」という昔のイアリングが出土しました。
古墳の副葬品によくみられるものなので、近くにあった古墳から耕作土にまぎれ込んだのかもしれません直径約2.5cm、緑青色にさびており、銅製のようです。
中世以降とみられる水田の畦畔がみつかりました。田んぼ1枚の大きさはわかりませんが、みつかった水田跡は3区画に仕切られていました。
土のうを取り外し終え、いよいよ本格調査開始です。まずは、26溝の木製構造物から調査します。
木製構造物の部材はほとんど傷みもなく、溝の壁面に護岸のために貼り付けられた樹皮がきれいに検出できました。
さっそく、上から順に樹皮を取り外し始めました。壊れないようにゆっくりと。最初の一枚はさすがに緊張します!!
樹皮は、長さ1メートル、幅0.8メートルぐらいのシート状に切りそろえられています。
スギなどの針葉樹の皮でしょうか。
26溝の表面に見えていた樹皮と杭を一通り取り外し終わりましたが、少し土を掘ってみるとその下からまた別の樹皮や杭が大量に出てきました。
どうやら、木製構造物が二重になっていて、しかもその構築に時間差があるようです。おそらく護岸の補修工事をしているのでしょう。新しく出てきた木製構造物が最初の護岸工事に伴うもので、すでに取り外した木製構造物が補修したときの工事に伴うものと考えています。
26溝の護岸盛土のなかから、木でできた鍬(くわ)が出土しました。
まだ作りかけで、柄(え)を通すための穴があけられていません。
なんでこんなところから作りかけの農具が出てくるのかよく分かりません…。何かの拍子に偶然混ざり込んだのでしょうか?
26溝の最初の護岸工事に使われた木製構造物には製材した角材や板が多く使われています。そのほとんどは建物などに使っていた木材を再利用したものではないかと推測しています。
護岸の一番芯になる横木にはとくに大きな木材が使われています。なかには長さが4メートルを超える角材もありました。もともとは屋根の部材などに使われていたのでしょうか?
26溝の護岸にはこんな立派な板も使われていました。長さが2メートルもあります。
整った長方形に製材されていて、表面の仕上げもとてもていねいです
厚みがあまりないので、もともとは建物の壁に使われていた可能性がありそうです。
26溝の護岸の木材をだいたい取り外し終わりました。
ちょっと殺風景ですね。
しかし!木はまだまだ出てきます!!
26溝の奥に見える14溝(弥生時代中期)の木組みの堰(せき)の調査が始まります!!!
14溝の堰(せき)がきれいに出てきました。
調査範囲で見つかった堰は全部で4列。水の流れをせき止めるような向きに並んでいます。
堰はどれも川底に打ち込んだ木杭と、横木を組み合わせて造られています。
すごい量の木です…。
14溝の堰(せき)の中から逸品が出土しました!
取手の付いた木製の容器です。破片なので全体の形が分かりませんが、おそらく温泉などで見かける片手桶(おけ)のような形をしていたのではないでしょうか。
一本の木から複雑なかたちを削り出しています。弥生時代の木工技術のレベルの高さがうかがえます。
地下約2.7mの深さで縄文時代後期(約3000~4000年前)の土器の破片がかたまって見つかりました。
他にマツボックリやサルノコシカケなども見つかっています。
26溝や14溝から出土した木材を調査地の脇に広げて整理しました。
こうやって見てみると、出土した木材は、板や角材、丸木などさまざまな形をしていることが分かります。
すごい数が並んでいますが、これでも全体の5分の1ぐらいの量です。
お盆過ぎに調査地の周りに鋼矢板(こうやいた)を打ち込みました。
これで、調査地内を深くまで掘ることができるようになりましたが、中に入るとちょっと圧迫感があります。
14溝の堰(せき)の中から、木製容器に引き続き、斧(おの)の柄(え)が出土しました。
木の幹の枝分かれ部分を利用して作られていて、枝の部分を柄として、幹の部分を斧の刃の台座として使っています。
台座の先端には刃を取り付けるくぼみが彫り込まれています。その形から、ここに平たい石斧がはめ込まれていたと考えています。
14溝の堰(せき)も全部取り外し終わりました。
これで、弥生時代の溝の調査は終了です。
護岸(ごがん)や堰などの遺構が密集していた遺跡の中もとてもすっきりしました。
次はこの下を掘っていきます。
何が出てくるか楽しみです。
「陶棺(とうかん)」の破片がみつかりました。
陶棺とは粘土を焼いて作った陶製の棺(ひつぎ)で、古墳時代後期頃(約1500年前)、中国地方や近畿地方の古墳に納められていました。
遺跡の近くにこの頃の古墳があったのでしょうか。
弥生時代の溝の下を50センチメートルほど掘り進めたところ、土器が出土しました。
今から5000年ほど前の、縄文時代中期の土器です。
土器は川が埋まった砂の層から出土しているので、川べりで活動していた縄文人が土器を残したのではないかと考えています。
ムシロなどを編むために使用する「木錘(もくすい)」という木のおもりがみつかりました。
長さ14cm、直径5cmほどの大きさで、一緒に出土した土器などから古墳時代後期頃(約1400年前)のものと考えられます。
縄文時代後期(約4000年前)の貯蔵穴2基が見つかりました。
穴の大きさは50~70cm、中にはたくさんのドングリが入れられていました。
川が埋まった砂の層を調査できるぎりぎりの深さまで掘りました。最も深いところで、標高マイナス0.5メートル。水がどんどん湧いてきます
まだ川の底は見えませんが、さすがに縄文土器は出てこなくなりました。
高住井手添遺跡の発掘はこれにて終わりです!
後は高所作業車から写真を撮れば、調査終了となります!!
最も東にある1区では、谷の平坦面で古墳時代後期(約1400~1500年前)の遺構が多くみつかり、谷の斜面上では弥生時代から古代・中世にかけての遺物が次々と出土しました。
明日、高所からの写真撮影が済むと調査が終了します。
今日は雪の予報でしたが、奇跡的に晴れて絶好の写真撮影日となりました。
写真は高所作業車のゴンドラに乗って写しました。ゴンドラの高さは最大22メートル。ビルの7階ぐらいの高さで、すごく高いです。
毎日見ていた青島も、高いところから眺めると新鮮に映ります。そして、遺跡が湖山池のほとりにあることがよく分かります。
今年度の発掘調査はこれで全て終了です。7ヶ月にわたって、真夏の暑さのなかや、雪がちらつくなか、みんな頑張りました。お疲れ様でした。
また、地元の皆様や関係者の方々には大変お世話になりました。御協力ありがとうございました。