平成25年度
常松菅田遺跡&常松大谷遺跡
 


2013年11月26日

今年度の調査もそろそろフィナーレ。平面調査した下層のようすを探るため、一部深掘りをしました。
ご覧のとおり、青灰色粘土の水辺の堆積が続きます。
遺物も全く出ないことを確認し、今年度の調査が無事終了しました!

今後は室内での整理作業、そして報告書作成へと進んでいきます!


2013年11月5日

このところの雨で、弥生時代の流路がほぼ水没。
当時も、大雨の後はこんな風景が広がっていたのかなぁと、ふと感じました。


2013年10月18日

弥生時代中期の溝から、5cm大の四角い碧玉(へきぎょく)の塊が見つかりました!
このHP上でこれまで何度も登場した管玉作り跡から、10mほど西へ離れた場所にありました。要らなくなった塊を、ポイッと溝へ投げ捨てたのでしょうか・・・。


この碧玉の塊と、これまでたくさん見つかった碧玉の破片は、時期も石質もピッタリ同じことから、接合作業でピッタリくっつくかも!?*⌒∇⌒*)



2013年10月17日

弥生時代中期の溝の一画に、杭や矢板が集中しています。右の画像に見られるように、しっかりと杭などが打ち込まれていますが、いったいどんな目的でこのような構造物を造ったのか、思案に暮れています。

水田に関する施設なのか、はたまた木器に加工するための木を集めておく貯木場なのか。いずれにしても、木々は、溝に対して直交もしくは平行して計画的に打設されていることから、溝の中の水の流れをコントロールする意図があったのでは、と考えています。

これだけ複雑な構造物ですので、記録(図化)するのも大変です(`-д-)


2013年10月15日

弥生時代中期(約2,100年前)の流路から、立派な壺が出土しました。口の部分が少々欠けていますが、ほぼ完全な形です。
このことから、当時の流路は、土器がゴロゴロ転がって壊れてしまうほど急な流れではなかったようです。

また、土器の中に詰まっていた土も丁寧に洗ってみましたが、特に目ぼしい内容物は見当たりませんでした。いったい、何を蓄えていたのでしょうか・・・。


2013年10月12日

常松大谷遺跡で土馬が出土しました。この土馬は、奈良時代後半(約1,250年前)頃のものと考えられます。土馬は、雨乞いや病除けなどの「まじない」の際に、馬の形代(生きた馬の身代わり)として用いられ、わざと壊すことによって、その目的をとげると信じられています。この土馬も、左の後ろ足が欠けた状態で出土しています。


この”土馬”をクリックすると土馬の立体表示がPDFで360度回転してご覧になれます。

※リンクされているPDFファイルをご覧いただくには、アドビリーダー(ADOBE READER ]T:無料)が必要です。お持ちでない方はこちらからダウンロードしてください。


2013年9月11日

溝に施された木製構造物の撮影を行いました。
臨場感のあるこだわりの「決め」カットのため、ファインダーを覗く調査担当者の後ろ姿は真剣そのものです。


2013年8月31日

心配された天気も現地説明会開始時には見事に回復し、なんと160名を超える方々にご参加いただきました!
東は大阪、西は長崎からお見えになった方々もいらっしゃいました。多数のご来場、誠にありがとうございました。

また、遺跡のすぐ近くにある宝喜温泉館さんには、現地説明会参加者に対して入館料割引のご協力をいただきました。重ねて感謝申し上げます。


2013年8月29日

午前中は、高所作業車による調査区全景撮影を行いました。
22メートルの高さ(およそ7階建てビル相当)から見下ろす調査区は大迫力でしたが、風が強く、少々怖い思いをしました。
河内川(こうちがわ)の向こうには、同じく調査中の下坂本清合遺跡が見えます。

午後には、週末の現地説明会に先立ち、報道関係者に対する現地公開を行いました。合わせて、木製腰掛(こしかけ)や管玉作り跡関連資料などもご覧いただき、当日夜から翌日にかけて、新聞各紙およびニュースにより、多数報道していただきました。


2013年8月22日

機能に引き続き、碧玉製の小さな破片に混じって石針が出土しました!長さ8ミリ、太さ2ミリの完形で、両端には使用に伴うくぼみが見られることから、両側を孔あけに使ったことが分かります。
7点目の出土!d(*^v^*)b


2013年8月21日

今回の調査5点目の石針です。これまで出土した石針は全て安山岩製でしたが、この石針は白濁色でつやのある石材を利用していました。瑪瑙(めのう)のようにも見えますが・・・。
ちなみにこの日は、このすぐ近くから安山岩製の石針も出土しました。


2013年8月8日

ハグロトンボがいた溝の最下層から、おびただしい量の木製品が姿を現し始めました。
大半は棒状の材ですが、中には建物の壁と思われる薄く大きな板材や、水田に入るために使われた田下駄の一部などが含まれています。


2013年8月7日

秋のイメージが強いトンボですが、ハグロトンボは夏に多く見られるトンボのようで、ここ常松菅田遺跡にもやって来てくれました。
急ピッチで調査の進む弥生時代の溝の中で、しばし羽を休めていました。


2013年7月24日

管玉作り跡から、また石針(せきしん)が出土しました。
今回の調査において4点目の石針は、折れてしまっているため、現存の長さわずか2ミリ。とはいえ、端部にはちゃんと使用した痕跡が残っています。
管玉への孔あけに使っていて折れたため、捨てられたのでしょう。


2013年7月11日

地面を削るように調査した結果、碧玉や安山岩の破片が100点近くまとまることが分かりました。碧玉の出た場所には緑、安山岩の出た場所には赤く塗った串を指してみると、両者が混ざり合っていることが分かります。弥生人はこの場所で、一所懸命管玉作りをしていたのでしょうね。


2013年7月1日

碧玉の破片や石針が出土した場所の土の中には、肉眼では見逃してしまった小さな破片が残されている可能性があります。そこで、調査区の脇にこしらえた洗い場で、削った土を5mm、3mm、1mmのフルイに通してみると・・・。予想どおり、2〜3mmの碧玉や安山岩の破片が、たくさん見つかりました(^―^)v!


2013年6月17日

先日(6月14日)見つかった碧玉の破片の周辺は、数mmずつ削るように慎重に調査することにしました。すると、やはり緑色の小さな石片がぱらぱらと出始め、さらには管玉に孔を開けるための石針も出土(ノ^▽^)ノ!
石針は、長さ2cmにも満たない安山岩製です。県内では、東前遺跡(倉吉市)でも同じ石で作られた石針が見つかっています。


2013年6月14日

金曜日の夕方、30cmほどの平らな石のすぐ脇から、きれいな石が出土しました。よく見ると碧玉(へきぎょく)です!碧玉は、アクセサリー(管玉)の材料として、弥生時代にたくさん使われました。今回出土したのは、作りかけの破片のようです。この周辺には、同じような碧玉の破片がまだかなり散らばっているはず・・・。


2013年6月11日

日中には27℃まで気温が上昇...。


木製の構造物を取り上げ、弥生時代の溝が掘りあがりました。このようにやや高い場所から見ると、弥生時代の複数の溝が、ほぼ同じ場所に造られていたことがよく分かります。


2013年5月24日

5月1日に確認した黒い土を掘り下げていくと、弥生時代の溝を埋めた土ということが分かりました。溝の肩近くには、横板と杭によって造られた構造物がありました。溝の肩が崩れて埋まらないように、この構造物で土留めをしていたようです。それでも、土圧によって倒れかけている横板がありました。杭は想像以上に深く打ち込まれていて掘り出すのも一苦労です()´д`()。
 
  
   横板と杭が見つかった溝    深く打ち込まれた杭


2013年5月1日

鳥取市気高町の常松地区では、今年度から常松菅田遺跡と常松大谷遺跡の2遺跡を調査します。これから、随時調査の様子を発信していきます!
まずは、ショベルカーによって現代の耕作土を取り除きます。すると、すぐに帯状の黒いシミのような土を見つけました。この黒いシミの正体は?次は、この黒い土を慎重に掘り下げていきます。