常松菅田遺跡では、ショベルカーによる表土掘削を開始しました。
現代の耕作土などを慎重に取り除いていき、過去の人々の痕跡を探していきます!
ちなみに…昨年度は弥生時代の玉作工房跡や古墳時代の住居跡などを調査しました。
今年度の調査地は昨年度調査地の東隣なので、去年に引き続き弥生~古墳時代の集落が見つかるかも・・・?
次回の更新をお楽しみに!!
常松菅田遺跡では、ショベルカーによる表土掘削を開始しました。
現代の耕作土などを慎重に取り除いていき、過去の人々の痕跡を探していきます!
ちなみに…昨年度は弥生時代の玉作工房跡や古墳時代の住居跡などを調査しました。
今年度の調査地は昨年度調査地の東隣なので、去年に引き続き弥生~古墳時代の集落が見つかるかも・・・?
次回の更新をお楽しみに!!
下層の堆積状況を確認していたところ、薄い板状の木製品が出土しました(写真1)!
木製品についた土を洗い落すと、古代のおまじない(雨乞いや厄除けなど)に使われた馬形の木製品であることがわかりました(写真2)。
当時の人々は、どんな願いをこめて馬形の木製品を使ったのでしょうか??
常松菅田遺跡に遅れること3週間、いよいよ常松大谷遺跡でも調査開始です!
昨年度の調査では、須恵質の土馬や木製の斎串(いぐし)など、奈良・平安時代のまじないに関連する道具が出土しました。また、主な遺構としては弥生時代後期前半(約 1,900 年前)頃の田んぼが見つかっています。
今年度の調査区は、昨年度調査区の北西側に位置するため、まじないに関する道具や、田んぼの続きが発見されるかも…?今後の調査成果をお楽しみに(^^)
(写真は表土掘削中のようすです。)
近世(主に江戸時代)の田んぼが現れました(写真1)。
この田んぼは約6,700㎡に及ぶ広い調査区のうち、北東部のみで確認できました。
その一部には水口(みなくち)と呼ばれる施設が残されていました(写真2)。
水口は畦が途切れるところに木を横倒しに置き、2本の杭で支えたもので、この木や石を動かすことで、水をせき止めたり取り入れたりして、水の量を調節したのです。
この田んぼを調査している頃、周辺の現代の田んぼにも水が入れられ、田植えが行われていました。
山陰型甑(こしき)形土器」が出土しました(写真1)。
この土器は、外側に把手が付き、底が無く、またお米などを蒸す甑に似ていることから、「甑形土器」と呼ばれています。(模式図参照)。
これまで見つかったもののうち、7割以上が山陰地方から出土しているため、「山陰型」と冠されています。
この土器の使い方については、①蒸し器(甑と同じ使用方法)、②燻製(くんせい)作り、③儀式用などの諸説あります。
しかし、実際どのように使われたのかはわかっていません。
鳥取西道路関係の調査では、今回の例以外にも、高住牛輪谷遺跡や松原田中遺跡からも出土しています。
それぞれの遺跡で、この土器はどのように使われたのでしょうか?
高所作業車(写真1)を使って、調査区全景の写真撮影を行いました。アームを伸ばしきると、高さは地面から17mにもなります(なんとビル5階以上の高さ!)。
ゆっくりと上がっていくバケットから眼下を望むと、写真2のように足のすくむ光景が!
ちなみに、風の強い日にはさらにスリリングな感じに…(><;)
高い所が苦手な人にとっては、とても大変な仕事です…。
いよいよ高さ17m地点に到着し、ファインダーを覗くと、周りの田んぼや山々の緑豊かな風景を一望することができました(写真3)。
遠く大阪から、バスツアーで約50人もの考古学ファンの皆さんが見学に来てくださいました。
皆さん、職員の説明を熱心に聞かれ、滞在予定時間を超えてしまうほどたくさんの質問をいただきました(^^)ありがとうございました!
このように、鳥取県外にお住まいの方にも、素晴らしい鳥取県内の遺跡に触れていただく機会が増えると我々も嬉しいです。
皆さんも是非鳥取にお越しください(*^_^*)
川の跡から、中世(鎌倉~室町時代)と考えられる漆器のお椀が出土しました。
内外面を黒色の漆で塗り、その上に朱色の漆で線状の模様を描いてます。
このほかにも、川の跡からは、同じような模様の漆器が出土しています。この頃の流行りの模様だったのでしょうか?
調査区北東の山際から、古墳時代後期頃(約1,400年前)の竪穴建物跡が1棟見つかりました。
建物の半分は残っていませんが、4本の柱で建物の梁を支えていたと考えられます。
建物の中央には赤く焼けた土が残っていました。ここで煮炊きをしていたようです。
この建物の近くには、カマドや須恵器の坏などの土器がたくさん捨てられていました。ここに住んでいた人が捨てたのでしょうか…?
いよいよ今年度の調査も大詰め、田んぼの調査に突入しました。
田んぼは弥生時代後期から古墳時代前期(約1,900~1,700年前)にかけて、3回造り変えていたことがわかりました
調査区東側はいびつな形の小さな田んぼが、もう一方の西側は長方形のやや大きな田んぼが造られています。東側の田んぼは、西側よりも斜面が急な場所にあるため、大きく造ることができなかったのでしょうか…?
1辺2~4mの長方形の田んぼで、北側には溝と水口(水の取り入れ口)が見つかっています。
田んぼの形はさまざまで、調査区の高い部分にのみ田んぼが残っていました。
写真2とほとんど同じ場所に溝があり、水口もいくつか見つかっています。
これらの調査を終え、2ヶ年に渡った常松大谷遺跡の現地調査は9月26日に完了しました!
調査区の東側を流れる奈良時代~平安時代(約800~1,200年前)の川の跡を、高所作業車から撮影しました。
平安時代の川幅は調査区の三分の一以上もあり、大きな川であったことがわかります。
ここからは、馬形や人形の形代・斎串などたくさんのまじないの道具が出土しています。
なお遺跡西側を流れる河内川対岸の下坂本清合遺跡でも、同様に大きな川が流れていたようです。
奈良時代~平安時代の川の跡の調査を終え、調査区中央の谷地形部分を調査していたところ、棒状の木製品が出土しました。
この木製品は、木を削って平らに加工しています。平らな部分には「毎自作是」、「以何令衆」と書いてありました。
これらは、仏教の経典である「法華経」の一部にあたります。
本来は「毎自作是念 以何令衆生…」と続いていたのですが、「念」と「生」の文字は、その部分が折れてなくなっています。
弥生時代中期~古墳時代前期の谷を掘削し、清掃を終え、ラジコンヘリコプターで遺跡全体の写真を撮影しました。
当時は、現在の地形からは想像もつかないような地形の起伏がありました。調査区を上空から見ると、谷と周りの高い部分の起伏がよくわかります。
写真を撮影し、機材の片づけなどをして常松菅田遺跡の現場作業は無事終了しました。
これからは、遺跡から出土した遺物の洗浄や、注記、土器の接合を行います。今後の作業の詳細は広報で随時更新していきますのでお楽しみに(^^)