2012年12月5日

 今年の調査でも、昨年と同様に奈良時代の溝から多量の土器が出土しました。
 出土した土器は小さな破片となっていますが、色や表裏の文様などの特徴をよく観察しながらジグソーパズルのようにつなぎ合わせていくと・・・大きな甕に復元できました。破片がつながらず隙間が空いてしまう場合は、元の形をイメージしながら補強材を入れて仕上げていきます。
 この後、復元した土器の図面や写真といった記録をとっていきます。
 2012年10月25日

 古墳時代から奈良時代にかけての遺構の調査をすべて終え、調査区の全景写真を撮影しました。
最後に補足的な測量などの作業を行い、現地での調査は終了します。
 これからは、室内で記録・作成した図面や、出土した遺物の整理を進めていきます。新たな発見にご期待下さい。

 2012年10月18日

 古墳時代前期終わりごろ(約1600年前)の井戸が見つかり、井戸の底付近で丸い胴体の甕(かめ)がほぼ完全な形で出土しました。
 この甕は口の一部を打ち欠き、胴に孔(あな)を開け、二度と使えない状態にしてあります。こうした加工は祭祀(さいし)に使った土器を捨てる時に行います。井戸を廃棄するための祭祀を行い、甕を投げ込んだのでしょう。
 2012年10月12日

 調査区北端で奈良時代の掘立柱建物がもう1棟見つかりました。しかし、この掘立柱建物の大部分は調査地の外側に残っているため、全体の形や規模がわからず少し残念です。
 柱は残っていませんでしたが、軟弱な地盤であるため柱が沈み込まないような対策として、穴の底に礎盤石(そばんいし)が置かれていました。
 2012年9月26日

 奈良時代の溝から、円面硯(えんめんけん)と呼ばれる古代の硯(すずり)が出土しました。昨年も破片が1点出土しており、同じ頃のものなのか特徴がよく似ています。
 2012年9月24日

 見つかった柱穴の位置や大きさなどを検討した結果、2間×2間の掘立柱建物を1棟確認できました。
 これは、奈良時代の建物で、建物の規模は南北2.8メートル、東西3.8メートルです。柱穴の直径は30センチほどで、いずれの柱穴にも柱は残っていませんでした。


 2012年9月14日

 古代の地層を掘り下げると、掘立柱建物(ほったてばしらたてもの)の柱穴が多数見つかりました。
 柱穴周辺で出土した土器から推測すると、奈良時代(約1300〜1200年前)の建物跡と考えられます。









 柱穴の直径は約40〜60センチで、柱穴のいくつかには直径20センチほどの柱がそのまま残っていました。
 これから見つかった柱穴の位置関係を確認しながら、建物の数や規模について検討していきます。
 2012年9月5日

 平安時代頃の遺構の調査が終わったので、ラジコンヘリコプターで航空写真の撮影を行いました。
 
 上空から見ると、遺跡の立地や周辺環境がよくわかります。








 平安時代の溝は、今年の調査範囲だけで約40メートルの長さがあり、昨年度に調査した部分も含めると総延長は約70メートルにもなる大きなものでした。
 溝の北側(写真左側)は、建物を建てるために粘土質の土を盛って整地されています。下の地層を確認するための試し掘りの溝(トレンチ)では、柱や柱穴が見つかっています。どのような建物が建っていたのか、これからの調査にご期待ください。


 2012年8月27日

 古代の土坑(どこう)から木錘(もくすい)と呼ばれる木製品がまとまって出土しました。これは、むしろを編む時におもりとした道具です。いずれも直径6センチ、長さ16センチ程度の細い丸太状の製品で、中央がくびれており、ここにむしろを編むための経糸(たていと)を結んで使ったと考えられます。
 現代に残る民具の中にも、形は異なりますが同じ用途に使う“槌(つち)の子”という道具があります。むしろを編む作業は、昔から大きく変わっていないことがわかります。
 2012年8月10日

 古代の溝の底から、槽(そう)と呼ばれる木製品が出土しました。

 長さ約70センチ、幅約30センチの浅い箱形の容器で、ほぼ完全な状態で出土しました。
 2012年8月1日

 古代の溝を調査しています。
 
 この溝は、昨年度の調査でみつかった平安時代の溝の続きではないかと考えています。

 まず、細長く溝状に試し掘りをして、溝の幅や深さ、土の堆積状況を確認します。溝の深さは約40〜50センチあり、溝の中にたまった土から奈良〜平安時代の土器がたくさん出土しました。

 昨年度の調査でも、銅製の帯金具や墨書土器(ぼくしょどき)など様々な遺物が出土しているので、今後の調査が楽しみです。
 2012年7月13日

 古代の水田跡と推測している地層を調査しています。

 その地層から勾玉(まがたま)が1点出土しました。勾玉の色が濃い緑色をしているので、石材は碧玉(へきぎょく)と推定しています。古代の地層から出土していますが、形の特徴からみて古墳時代の勾玉と考えています。

 周囲の斜面から調査地内に土砂が流れ込んでいることから、一緒に流れ込んだものと考えられます。
 2012年7月11日

 室町時代の田んぼの下に広がる鎌倉時代の地層を掘り下げたところ、古代の地層の上で細長く帯状に伸びる砂の高まりをみつけました。

 これは田んぼの畦の痕跡です。

 上に堆積した鎌倉時代の地層には、室町時代の耕作で壊されたため畦が残っていませんでした。しかし、この砂の高まりや、牛の足跡、小さく残る段差などによって、鎌倉時代の地層が田んぼだったことを間接的に知ることができました。
 2012年6月18日

 谷奥にあたる調査区東側で、室町時代から江戸時代に耕されていた田んぼの跡がみつかりました。

 室町時代の田んぼは、大雨などによって斜面から流れ出した砂で覆われており、その下に畦(あぜ)や棚田状に作られた田んぼの段差が残っていました。田んぼは地形に合わせ、小さな区画で作られていたようです。

 それに対して、江戸時代以降は1枚の田んぼが大きく、直線的な区画となり、現在の田んぼに近いかたちになっていることが分かりました。
 2012年6月14日

 江戸時代以降の水田耕作土を取り除くと、中世(鎌倉〜室町時代)の耕作土が出てきます。その表面に、どころどころ牛の足跡が残っていました。

 発掘作業員さんが子どもの頃までは、牛や馬で田起こしをしていたそうです。昨年度の調査でも、古代の耕作土に牛の足跡がみつかっていて、古くから牛が耕作の手助けになっていたことが分かります。
 2012年6月1日

 江戸時代の水田耕作土を掘り下げていたところ、漆器(しっき)の椀が出土しました。黒色の漆(うるし)の上から朱色の漆で文様が描かれています。

 どんな遺物もそうですが、出土した直後は特に色鮮やかできれいです。
 2012年5月14日

 GW明けから表土の機械掘削を始めました。
 今年は昨年発掘調査した場所の東側(谷の奥側)を調査します。

 どんな発見があるのか、ご期待ください!