2010年11月30日

 1区での今年度の調査が終わりました。
 ここでは、2区でみつかった2本の川の続きを確認することができました。
 古代の川では、2区と同じように、川底からほとんど割れていない土器が出土しました。また、この川が埋まった後、これを横切るように11月25日に紹介した中世から江戸時代の蛇行する川が流れていたこともわかりました。

 一方、川の東側(写真の奥側)は、昭和50年代に行われた水田整備のときに、地面を平らに削っていたため、遺構はみつかりませんでした。

 今年度の高住平田遺跡の現場調査は、今日で無事終了です。
 これもひとえに夏の暑さや、最近の急な冷え込みにも負けず、毎日がんばっていただいた作業員のみなさんのおかげ。感謝の気持ちでいっぱいです。
 今後、現場でつくった図面やみつかった遺物から、より詳しく、この地でくらしていた人々のようすを調べていきます。
2010年11月25日

 中世から江戸時代初めごろの川の続きを調査しました。
 この川は、調査区のなかで大きく蛇行しながら(写真の矢印方向に)流れていたことがわかりました。

 2区では、これよりも古い時期の川がみつかっていますので、次はその川を調査することにしています。
2010年11月13日

 これまで調査をしていた地区(2区)の南東で新たな調査区(1区)を掘り始めています。
 江戸時代までの土層を掘り終わり、いよいよ調査に入ります。

 この調査区では、2区でみつかった川の続きと、川の東側がどのように利用されたのかを調べることにしています。
2010年11月13日

 古代の地層を掘り下げたところで、南北に延びる細い溝が3本みつかりました。このうち写真で一番右側にある溝は中央のものと途中で合流していました。

 この溝は、古代から中世に流れていた川とほぼ同じ方向に延びています。

 溝の間は約2mあって、もしかするとこの部分を道として利用していたのかもしれません。


2010年11月5日

 9月7日に紹介した古代の川底に立つ丸太が、どのようにして立てられたのかを確認するため、周りを掘り下げました。
 すると、丸太の先を尖らせてあることがわかりました。(下の写真は左側の2本をアップにしたものです)
 丸太を立てるための穴が掘られていないことから、これらの丸太は川底に打ち込まれたものだと考えられます。

 1列に並んだ4本の内、3本は川底(写真の赤線)よりも約50cm下まで打ち込まれていましたが、写真で一番左側のものだけは先端が川底にほとんど刺さっていませんでした。どうやら、この1本だけは、川がある程度土砂で埋まった後に打ち込んだようです。
2010年11月3日

 高住平田遺跡の現地説明会を行いました。

 ここ最近、雨模様が続いていましたので、開催できるかと心配したのですが、幸い天気が荒れることなく、多くのみなさんにお越しいただきました。
 まことにありがとうございました。
2010年10月15日

 前日の雨で、調査している古代の川に水がたまってしまいました。流れていた当時は、ここまで水位は高くなることはなく、あるとしても洪水の時ぐらいだったと思われます。

 さて、よくみると、水面から何かがにょきにょきと顔を出しています。これは、以前紹介した川の中に立っている丸太の先端です。こうして水がたまると、川岸と柱の先端の高さがほぼ同じだとよくわかります。

 こうみると、これが橋脚だったのかもしれないと思えてきます。
2010年10月12日

 調査区の一部を、現在の地面から約70cm下まで掘り下げてみました。すると、枯れた木の葉や枝が堆積した黒い粘土があり、中から大きな木が姿を現しました。

 木の真ん中が溝のようにくぼんでいたので「もしや丸太をくりぬいてつくった舟では?」と期待したのですが・・・。

 周りを掘り進めると、木がだんだん太くなっていきます。みると、木の根が残っていました。
 どうやら、ここに立っていた木が倒れたもののようです。
 
 丸木舟かと期待しただけに残念。
2010年10月8日

 9月24日に半分掘り下げた穴をすべて掘り終わったようすです。

 今回の調査では、これと似た穴が多くみつかりました。
 何のために掘られたのでしょうか?
 
 穴が掘られた地層は均質な白い粘土で、もしかすると、土器づくりなどのために粘土を採った跡なのかもしれません。
2010年10月7日

 写真は、古代から中世にかけてのくらしの跡を、全体がわかるように撮影したものです。
 この調査区では、そのころの跡が、現在の地面からわずか50cm下でみつかるのです。

 ここでは、湖山池に流れていたと思われる川や、そのほとりで、9月15日に紹介したような、直径1mほどの穴などがみつかりました。

 建物の跡はみつかりませんでしたが、そのころの土器がたくさん出土していますので、この近くに集落があった可能性が高いと考えています。
2010年9月30日

 川の底あたりを掘っていると、木材や拳ぐらいの石とともに土器があちらこちらでみつかりました。そのなかには写真のように、全く割れていないものも含まれています。

 割れていない土器は、数個がまとまってみつかることもありますので、一度に川に投げ入れられたのかもしれません。

 当時の人たちは、どうしてそのようなことをしたのでしょうか?その姿を想像してみると、興味がつきません。
 
2010年9月24日

 9月15日にみつかった穴を、半分掘り下げてみました。
 深さが約40cmで、底はほぼ平らにつくられています。柱が立てられたようすは、今のところはなさそうです。
 残りの半分も引き続き掘り下げていきます
2010年9月15日

 室町時代の地層を掘り下げていくと、薄い灰色の土の中に、濃い茶色の土が円くみえる部分(赤く囲ったところ)がありました。

 これは当時の人たちが掘った穴が埋まった跡と考えられます。次は、埋まった土を掘りかえして、何のためにつくられたのかを調べることにしています。
 
2010年9月7日

 調査区東側でみつかった古代の川を掘り下げていると、直径20cmほどの丸太が立った状態でみつかりました。

 この丸太、しっかりと地面に刺さっていて、さわってもビクともしません。しかも、川の流れをさえぎるように3本が並んでいるのです。

 果たして、なんのためのものなのか。川を渡るための橋?それとも水をせき止めるため?
 川の周辺のようすを調べながら、その目的を確かめていきます。


2010年8月26日

 田んぼの土の中から銅銭がみつかりました。
 表面には「元豊通宝(げんぽうつうほう)」の文字が読めますので、今から900年前に中国で造られたものと考えられます。

 日本では鎌倉時代から室町時代にかけて、中国から輸入した銅銭が流通していました。

 当時の人たちが田んぼを耕しているときに落としたのでしょうか?それともおまじないのために埋めたものだったのでしょうか?

 さて、遺跡から銅銭が出土する場合、ほとんどは下の写真のように緑色のさびがついています。ところが、この日みつかったものは、まるで新品の10円玉のよう。
 造られた当時そのままの輝きに、みんなびっくりしました。
2010年8月18日

 変わった形をした板がみつかりました。板の側面に切り込みがいくつもあります。写真の左側は折れていて、もともとはさらに長いものだったようです。
 古代には、木で人や動物、舟や刀といったものをかたどったものを使って、おまじないをしていました。今回みつかったものも、そうしたものの1つではないかと考えています。
 ただ、こうしたものはかなり簡略化された形になっていることが多く、これが何をかたどったものなのかはよくわかりません。みなさんはこれが何にみえますか?

2010年7月23日

 現在、調査区南西部を掘り下げ中です。
 このあたりは砂が厚く堆積しています。出土する遺物などから中世以降の川の跡と考えています。
 川の幅は5mほどあり、調査区内を蛇行しながら流れていたようです。
 その川岸近くには杭が4本立っていました。写真の右下にあるのがその杭列です。これらの杭は長さが40cmほどありますが、その先端部は川底に達していませんでした。
 川は流れてきた砂などで徐々に埋まっていったと考えられるので、埋まっていく途中で打たれたものではないかと思われます。
 何のためのものかは現時点では不明です。
2010年7月7日

 人力掘削作業を始めて、はや1ヶ月が過ぎました。
 トレンチの壁を調べることで、調査区全体のようすが分かってきました。
 いよいよ、人々のくらしの跡があると思われる深さまで平面的に掘り下げる作業に入りました。
 土の中には昔使われた器の破片が含まれているのですが、掘り下げ始めた調査区の南東部ではその量はあまり多くないようです。
 それがどういう理由なのかは、調査が進むにつれて明らかになるのではないかと思います。
2010年6月11日

 作業員さんが調査区に入って、本格的な調査に着手しました。
 最初に、地面の下の状況を把握するために、細長く溝状に掘削しました。調査では、地下の様子を知るためなどに小規模に掘り下げたものを「トレンチ」と呼ぶことがあります。
 トレンチの壁で見える地層を調べることで、どのぐらいの深さで昔の人々がくらしの跡があるか、また周辺の川など自然による影響をどのように受けているのかが分かってきます。
2010年6月1日

 いよいよ、掘削作業が始まりました。
 まずは、現代の耕作土をショベルカーで掘削して、中世までの遺物が含まれている土の上面を出していきます。
 この作業が終わると、作業員の方々が人力で掘り下げを進めていくことになります。
2010年5月28日

 掘削作業を行う前に、ラジコンのヘリコプターを使って空中から遺跡周辺を撮影しました。撮影には一般的なものよりも大きめのフィルムを使ったカメラを用います。
 上空からみると、地図だけではわかりにくい地形のようすが見えてきます。(写真は調査区南東上空から撮影したものです)
 人々の生活は地形と密接に関連しています。そのため、生活の跡である遺跡がどのような地形にあるかを知ることは、調査を行う上で重要なのです。
 こうした状況を念頭に置きながら、今後の調査を進めていきます。