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穂摘具 - 平成23年度 坂長第7遺跡(西伯郡伯耆町坂長)
 稲を摘み取るために使われた道具の刃の部分です。長方形の板の先端に鉄製の刃を装着して使用するもので、坂長第7遺跡で出土したものは、長さ9.9p、幅3.2p、厚さ0.15pの薄い鉄板で、両端が折り曲げられ、板を刃に固定するために釘が打ち込まれていました。
 坂長第7遺跡では、古代以降に湿地を開発して水田としていることから、その頃に使用されていたと考えられます。
 
 木製鍬 - 平成23年度 本高弓ノ木遺跡(鳥取市本高)
 一部壊れていますが(写真右側)、アカガシ亜属の木を加工してつくった鍬の先の部分です。長さ32p、幅18pほどで、刃先の部分には孔が空けられています。この孔は、ヒビや割れ目ができた時に紐で縛って補修した痕跡だと考えられます。
 木製農具は、本格的な水田稲作が行われる弥生時代から使われはじめます。当資料は弥生時代前期(約2500年前)のもので、山陰最古級の木製農具であり、この地で稲作がどのような形ではじまったかを知る上で大変重要な資料です。
弥生土器・壺 - 平成23年度 本高弓ノ木遺跡(鳥取市本高)
 上半部しか残っていませんが、弥生時代前期(約2500年前)の壺です。表面はヘラ状の工具で磨かれており、胴部に文様が描かれたものもあります。壺は、本格的な水田稲作が行われる弥生時代の主要な土器で、米などを貯蔵していたと考えられます。当資料は因幡最古級の弥生土器です。
歴名木簡 - 平成23年度 良田平田遺跡(鳥取市良田)
 良田平田遺跡で人物の姓名などが書き連ねられた「歴名(れきみょう・れきめい)」と呼ばれる平安時代の木簡(もっかん)が出土しました。この木簡は記録を目的とした帳簿のようなもので、古代の因幡国における地名“因播國(いなばのくに)高草郡(たかくさぐん)刑部郷(おさかべごう)”や人名(“孔王部廣公(あなほべひろきみ)”など)、年齢と思われる数字など、39文字が墨で書かれていました。
 この木簡によって、古代の因幡国に “孔王部(あなほべ)”の姓をもつ人物が存在したことや、当時の良田地域が古代の行政区画のうえで「高草郡刑部郷(おさかべごう)」に属していた可能性があることがわかりました。
 
墨書土器 - 平成23年度 良田平田遺跡出土(鳥取市良田) 
 良田平田遺跡では、墨で文字が書かれた墨書土器(ぼくしょどき)が100点以上出土していますが、その中に「荒田大内」と書かれたものが複数ありました。
 遺跡が所在する良田地域は明治3(1870)年まで「荒田村」でした。この「荒田」という地名が奈良時代までさかのぼる古い地名であることが分かり、地域の歴史を明らかにするうえで貴重な発見となりました。
石錘 - 平成23年度 高住井手添遺跡出土(鳥取市高住)
 縄文時代中期前半頃(約5000年前)の土器と一緒にみつかった石錘(せきすい)です。扁平な石の両端を打ち欠いて作られ、ここに紐や縄などをかけてオモリとして使用したと考えられています。
 縄文時代中期頃には海水面が今よりも高く、湖山池は日本海とつながる内湾となっていました。この石錘は、縄文人たちが魚を取るための投網などに付けられていたものかもしれません。
土馬 - 平成22年度 坂長ブジラ遺跡出土(西伯郡伯耆町坂長)
 粘土を焼いて作った馬の頭です。愛らしい顔立ちをしています。たてがみと耳は粘土を貼り付けて、口・目・鼻の穴はヘラや棒状の工具で刻んで作っています。
 鼻先から長さ12p分が出土しましたが、もともと全身が作られていたかはわかりません。もし全身があれば30p近い大型のものだったでしょう。
大型特殊壺破片 - 平成22年度 坂長第8遺跡出土(西伯郡伯耆町坂長)
 大きな壺の口の部分です。上段には竹管文が、「くび」の部分には貝殻で綾杉文が丁寧にえがかれています。いずれの破片も細かく割れており、元の形はわかりませんが、少なくとも4個体分はあるようです。
 大型特殊壺は古墳時代初め(約1700年前)の重要な古墳から出土することが多く、遺跡の近くでは南部町の普段寺古墳群でもみつかっています。
有茎尖頭器 - 平成22年度 坂長第8遺跡出土(西伯郡伯耆町坂長)
 有茎尖頭器(ゆうけいせんとうき)、または有舌(ゆうぜつ)尖頭器と呼ばれる石器です。安山岩の一種であるサヌカイトを打ち欠いて刃の部分や柄に取り付けるための突起を作っており、長さは4.1pと小さなものです。
 旧石器時代終末期から縄文時代初め(約1万2千年前)の短い期間に日本全国に広がり、狩りの際に槍先として使われました。
 坂長第8遺跡周辺の遺跡からも数点が出土しており、その頃に周辺地域が狩りの場として盛んに利用されていたことがわかります。
土馬 - 平成21年度 本高弓ノ木遺跡出土(鳥取市本高)
 馬をかたどった焼き物の頭の部分です。
 パカリと開いた口に丸い目や鼻など、その表情はとてもユーモラス。鳥取県東部では鳥取市河原町や八頭町でも土馬がみつかっていて、いずれもこれと似たような顔立ちをしています。
 土馬は6世紀後半ごろから作られるようになります。雨ごいや病気などの災いを避けるためのおまじないに使われたのではないかと考えられています。
枕にされた器台 - 平成21年度 本高18号墳出土(鳥取市本高)
 器台はもともと壺や甕などを置くための台です。写真のものは和楽器の鼓(つづみ)に形が似ていることから「鼓形器台」と呼ばれます。古墳時代前期(約1700年前)のものです。
 この器台は棺の中に置かれたもので、一部が意図的に割られていました。これは葬られた人の枕として利用したもので、割った部分を利用して頭を固定したと考えられます。
 土器を枕として利用している例は、山陰を中心とした地域で確認されていて、この地域の特徴といえるかもしれません。
円筒埴輪 - 平成21年度 松原15号墳出土(鳥取市松原)
 埴輪は、古墳の上や周りに置かれた土製品です。埴輪には筒状の円筒埴輪(えんとうはにわ)と人や動物、家などをかたどった形象埴輪(けいしょうはにわ)があります。
 松原古墳群では、古墳時代後期(約1500年前)に造られた、同じ尾根にある3基の古墳から埴輪が見つかっています。同じ時期の古墳でも、別の尾根にある古墳からは見つかっていません。おそらく、尾根ごとに別々の集団が古墳を造っていたのでしょう。