奈良時代から平安時代の建物などの調査を終えて、古墳の調査を行っています。
今年度の調査区では、平成10年度や昨年度に一部が調査されたものも含めて7基の古墳を確認できました。このうち4基は今回の調査で新たに見つかったもので、いずれも直径が10mほどの円墳でした。
また、今回の調査では、板石を組み合わせて造られた箱式石棺(はこしきせっかん)が4基見つかり、このうち3基は板石で蓋がされたままの状態で見つかりました。
石棺からは人骨の一部と、石で作られた死者のための枕(石枕)が見つかりました。石枕は2枚の板石をⅤ字状に組み合わせた、鳥取県中部に多くみられるタイプで、棺内の東側に設けられていました。
また、107号墳と名づけた古墳では、石棺の蓋石が赤く塗られていました。長瀬高浜遺跡でこれまでに調査された古墳のうち、赤く塗られた石棺は数が少なく、大きな石を蓋に使っていたことからも、特別な立場の人物が葬られていた可能性があります。
調査は順調に進み、奈良~平安時代の調査が終盤を迎えました。この時期は、窪地を大規模に埋め立てて掘立柱建物が造られていますが、長瀬高浜遺跡では初めて、奈良~平安時代の鍛冶炉を確認しました。
鍛冶炉は少なくとも3基あり、その内の1基は、掘りくぼめられた炉穴に炭が詰まった状態で出土しました(写真1)。
ほかの2基は、炭はありませんでしたが、焼土や細かな鍛冶滓(かじさい)が出土し、炉の周囲は被熱のため硬く締まっていました(写真2)。
これらの鍛冶炉は掘立柱建物内で見つかっており、周囲では、炉に風を送る鞴(ふいご)の羽口(はぐち)や炉壁片、鍛冶滓や鍛造剥片(たんぞうはくへん)などが多く出土しています。
今後、炉の周辺から採取した土から鉄片などの微細遺物を抽出し、鍛冶作業空間を復元していく予定です。
奈良~平安時代の長瀬高浜遺跡は、役所に関連する場所であったとの説がありますが、その詳細は充分には明らかになっていませんでした。
今回の調査で初めて見つかった複数の鍛冶炉は、遺跡の北東端のエリアで鉄器生産が行われていたことを示しており、この時期の遺跡の性格を解明するための重要な手がかりになりそうです。
最大6mに及ぶシロスナ層の重機による掘り下げが進み、ようやく、人力による発掘調査に着手しています。さっそく、室町時代ごろとみられる地層から、人や動物の足跡がたくさん見つかりました(写真1)。
このうち、人の足跡には大きさや歩幅の違いから大人だけではなく、子どもとみられるものがあります。また、裸足で、指や土踏まずの形まではっきりと確認できるものや(写真2)、ガニ股など歩き方まで分かるものもあります。動物の足跡は、ウシのものがほとんどですが、中には小動物とみられるものも見つかっています(写真3)。
これらの足跡は、広範囲にわたって検出されている畠跡に隣接する低地部分で見つかっており、耕作に従事した人々やその営みを知るうえで重要な痕跡といえそうです。
昨年度の古墳時代の甕(鍋)の中から貝殻が見つかったことをお伝えしましたが、とても脆弱であったことから砂ごと切り取って持ち帰り、室内で慎重に掘り出した後、応急的な保存処理を行いました。その結果、二枚貝であるイガイがきれいな姿を現しました(写真1)。また、掘り出す過程でフグの歯(上あご)も見つかり(写真2)、近くの別の竪穴建物跡から出土した土器の中から見つかった貝殻がカキであることも判明しました。
遺跡では、釣針やヤスといった当時貴重であった鉄製の漁撈具も多く出土していることから、長瀬高浜遺跡の人々が漁業を生業とし、日本海で採れた美味な魚介類を食べていたことが分かります。
昨年度大量に出土した土器の洗浄作業を進めています。その中で変わった形をした古墳時代初めの土器が見つかりました(写真1)。
非常に複雑な形で高坏のような脚の上に小さな壺(つぼ)が3個くっついています。しかも壺の内部は穴でつながっています。
イラストで再現すると、図1のようになります。
調べたところ、よく似た土器が国内では福岡県の那珂遺跡群で出土しており、「脚坏三連壺(きゃくつきさんれんつぼ)」「台付三連小型壺(だいつきさんれんこがたつぼ)」などと呼ばれていることがわかりました。
日本では九州以外に出土例のない珍しい土器で、日用品ではなく儀礼用などの特別な土器かもしれません。
日本海航路で結ばれた長瀬高浜遺跡と九州との強いつながりを示す土器と言えそうです。
※この記事の公開後、岡山県の津寺遺跡からもよく似た土器が出土しているとの情報をお寄せいただきました。
昨年度調査を行った長瀬高浜103号墳の石棺(写真1)からは、副葬品として計4本の鉄鏃(鉄のやじり)が見つかっていますが、先日、鉄鏃を再度観察していたところ、4本のうち3本(写真2の★)に布が付着しているのを見つけました。
いずれも経糸(たていと)と緯糸(よこいと)が確認でき、おそらく経糸と緯糸を交互に組み合わせた平織(ひらおり)の織物と見られます。
棺内の副葬品は鉄鏃4本のみで多いとは言えませんが、おさめられたやじり(矢)は丁寧に布に巻かれて入れられていたのかもしれません。
湯梨浜町内で開催中の速報展は、三カ所目となる湯梨浜町中央公民館泊分館での展示が5月29日から始まりました。今回の展示では、土器の他に、翡翠(ひすい)製の勾玉や鉄の鏃(やじり)などの逸品も展示しています。
湯梨浜町での速報展は今回で一段落となりますので、是非この機会をお見逃しなく。
会期:5月29日(水)~6月9日(日) 午前10時~午後6時まで
場所:湯梨浜町中央公民館泊分館(湯梨浜町泊1204-1)
令和6年度の長瀬高浜遺跡の発掘調査がいよいよ始まりました。今年度が3年目の最終年度となります。調査区は令和5年度調査区の東側で、現在、重機を使って造成土や近世以降に堆積した砂を取り除く作業を行っています。今年度も古墳時代の集落跡や古墳などが数多く見つかり、大量の出土品が出土することが予想されます。どんな新しい発見があるのか、ご期待ください。
湯梨浜町内で開催中の速報展は、役場本庁舎での展示が終了し、5月15日から湯梨浜町立図書館での展示が始まりました。役場本庁舎では、囲炉裏跡の剥ぎ取りのみの展示でしたが、今回は、出土した本物の土器も展示しています。土器はいずれも古墳時代初めごろ(約1,700年前)の土師器で、ほぼ完全な形で出土した逸品たちです。とくに、鍋(甕)はススやコゲが厚く付着しており、囲炉裏跡とともに古墳時代の炊飯や調理のようすをリアルに感じることができます。ぜひ、この機会にご覧ください。
会期:5月15日(水)~5月26日(日)
場所:湯梨浜町立図書館(湯梨浜町龍島497) 午前10時~午後6時まで 月曜休館
スス・コゲの調査指導&ワークショップを行いました
長瀬高浜遺跡から出土した古墳時代初め頃の土師器は、ススやコゲが良好な状態で付着しており、当時の炊飯や調理方法を解明するうえで重要な資料といえます。そこで、この度スス・コゲ研究の第一人者である小林正史先生(金沢大学客員教授)に調査指導をいただきました。また、先生の御厚意により鳥取・島根の文化財関係者も参加し、ワークショップ形式で開催しました。
今回のワークショップでは令和4・5年度に出土した50点前後の鍋(甕など)を実際に観察しながら、ススやコゲの観察方法やその意義について学びました。さらに、参加者の三谷智弘氏(株式会社パレオ・ラボ)からは、スマートフォンやタブレットのLiDAR(ライダー)と呼ばれる機能を使った三次元計測の方法について教えていただきました。
観察の結果、炊飯時のふきこぼれ直後の早い段階で鍋を傾けて湯取り(余分な水分を重湯(おもゆ)として取り除くこと)したこと、湯取り後の蒸らす工程では、熾火(おきび)上で鍋を転がしながら側面から加熱したこと、炊き上がったお米が鍋の頸部付近まで詰まっていたこと、形状から貯蔵用の壺とした中にも鍋として利用されたものがあること、などの数多くの知見を得ることができました。また、調理以外でも多くの鍋が廃棄後に二次的な被熱を受けていることが明らかになり、土器が廃棄された穴(使われなくなった竪穴建物や溝など)で頻繁に生ごみ等を燃やした可能性が高まってきました。
今回は一部の資料しか観察できませんでしたが、さらに遺物整理を進めていく中で囲炉裏跡との関連を含めて多角的な検討を行っていきたいと思います。
4月15日から湯梨浜町内での発掘調査速報展が始まりました。今回の目玉は、初公開となる古墳時代初めごろ(約1,700年前)の囲炉裏跡です。
発掘調査で見つかった遺構をそのまま剥ぎ取って保存処理した、本物です。
湯梨浜町教育委員会との共催で、町内の3施設で巡回展示しますので、この機会にぜひ、ご覧ください。
会期及び会場
4月15日(月)~4月26日(金) 湯梨浜町役場本庁舎(湯梨浜町久留19-1)
5月15日(水)~5月26日(日) 湯梨浜町立図書館(湯梨浜町龍島497)
5月29日(水)~6月9日(日) 湯梨浜町中央公民館泊分館(湯梨浜町泊1204-1)
開館時間及び休館日
湯梨浜町役場本庁舎 午前8時30分~午後5時15分まで 土日閉庁
湯梨浜町立図書館 午前10時~午後6時まで 月曜休館
湯梨浜町中央公民館泊分館 午前8時30分~午後5時まで
主な展示品
剥ぎ取り保存された囲炉裏跡・出土品・パネル
※湯梨浜町役場本庁舎では出土品の展示はありません。
主催
公益財団法人鳥取県教育文化財団調査室・湯梨浜町教育委員会
入館料
無料