小鴨道祖神遺跡の表土剥ぎを開始しました。重機で30~50cm掘ると、早くも柱穴の痕跡がぼんやりと見えてきました。どうやら、建物がたくさんみつかりそうです。
小鴨道祖神遺跡の表土剥ぎを開始しました。重機で30~50cm掘ると、早くも柱穴の痕跡がぼんやりと見えてきました。どうやら、建物がたくさんみつかりそうです。
現在、遺構の検出作業を行っています。重機で表土を取り除いた後、作業員さんたちが土の表面を薄く削り、きれいにしていきます。そうすると、柱穴がはっきりと見えてきました。
現在のところ、掘立柱建物を8棟検出しています。中には直径が50cm以上ある大きな柱穴もみつかっています。
掘立柱建物跡などの奈良時代(約1200~1300年前)の遺構を覆う土の中からは、土馬(どば)とよばれる馬の形をした土製品がこれまで数点みつかっています。
土馬は、古代の祭祀(さいし)《まじない》に使用した道具であり、多くの場合、本遺跡から出土したもののように、意図的に壊された状態で見つかります。古代の文献には、雨乞いや厄払(やくばら)いなどの目的でたびたび馬がいけにえとされていたことが記されており、土馬はこのような生きた馬の代わりとして用いられたと考えられています。
出土した土馬は本遺跡でもこのような馬が関わる祭祀が行われていたことを示すものであり、遺跡の性格を知るうえで重要な発見であるといえます。
古代には土馬のほか、馬をかたどった祭祀の道具として木製の馬形(うまがた)や、現在でもおなじみの絵馬も作られており、馬が乗り物としてだけでなく、祭祀に深く関わっていたことが分かります。
小鴨道祖神遺跡では、現在、掘立柱建物12棟、竪穴建物1棟を確認しています。
今日は、そのうち掘立柱建物7・11・12の検出状況を撮影しました。続々と建物がみつかっており、今後の調査が楽しみです。
飛鳥時代の住居(竪穴建物1)を調査しています。
建物の床には、壁に沿って排水のための溝(壁溝:へきこう)が、中央部に炉として使われた浅いくぼみが掘り込まれていました。炉の底の部分は火の熱を受けて、土が赤く焼けていました。床には柱の痕跡は残っていないことから、竪穴の周りに柱を建て、上屋を支えていたものと思われます。
掘立柱建物5を調査していると、柱穴の1つから、ほとんど壊れていない須恵器の蓋(ふた)が出土しました。柱穴の土層を観察してみると、建物を建て直す際に、柱を再利用するために抜き取り、その柱を抜き取った穴に須恵器を埋め戻したということがわかりました。
建物の取り壊しにともなって、何らかの祭祀が行われたと考えられます。
本日は、現在の調査状況を記録するため、ラジコンヘリコプターを使用して航空撮影を行いました。
航空撮影では、遺跡がどのような地形に残されていたのかが、よくわかります。小鴨道祖神遺跡でみつかった飛鳥から奈良時代の集落遺跡は、当時の人々が天神野台地(通称)上の安定した土地を利用して生活していたことを示しています。
おかげさまで、小鴨道祖神遺跡の調査は本日で終了しました。今回の調査では、飛鳥時代から奈良時代の竪穴建物2棟、掘立柱建物18棟がみつかったほか、食事に使う皿や坏(つき)、食べ物の煮炊きに使う甕(かめ)や竈(かまど)、祭祀に使う土馬(7月24日記事)などが出土しており、その当時の人々の暮らしぶりを明らかにすることができました。
今後は出土遺物の整理作業をすすめるとともに、調査成果を報告書としてまとめる作業を行っていきます。
調査中は地元の方々をはじめ、多くの方々にご協力をいただきました。ありがとうございました。
いつになく厳しい寒さにも負けず、今年度の調査成果を報告書としてまとめる作業を日々続けております。
さて、今回は小鴨道祖神遺跡から出土した土器のひとつを紹介したいと思います。
写真と図に示した土器は、およそ1300年前のもので、赤く塗られ、ところどころに光沢があります。その光沢は、箸のような道具で器の表面をなでることで生み出されるもので、特に内面には網目や曲線が浮かび上がる、暗文(あんもん)とよばれる文様がつけられています。このような土器は、高貴な人々が用いていた金属の器の輝きを目指したもので、当時の人々の高級品へのあこがれを知ることができる遺物です。