2016年11月30日

 6月から行ってきた山ノ下遺跡の調査は、本日で終了しました。

 調査の結果、山ノ下遺跡からは縄文時代(約3000年前)から室町時代(約600年前)にかけての人々の生活の痕跡や土器などの遺物がみつかりました。遺跡の中心となる平安時代の終わりごろから鎌倉時代にかけて(約950〜700年前)には、数多く掘立柱建物が建てられており、集落が営まれていたことがわかりました。そのうち、掘立柱建物13は1辺が12mもある大型の総柱建物で、この地域を治める有力者に関係する建物である可能性があります。このように、地域の歴史を解明するうえで、貴重な成果を得られたと考えています。

 今後については、出土した遺物の整理作業や、調査成果をまとめた報告書の作成を行っていきます。整理作業中に新たな発見があったときには、このホームページで随時ご報告していきます。

 最後になりましたが、調査中には地元の皆様をはじめ、多くの方々にご協力をいただきました。

 ありがとうございました。

調査後の様子(南西から撮影)


調査後の様子(北東から撮影)


調査後の様子(真上から撮影)


落とし穴(1027土坑)の土層断面
2016年11月16日

 縄文時代(約3000年前)のものと思われる落とし穴が見つかりました。写真の落とし穴(1027土坑)の底には径10cm程度の小さな穴があり、逆もぎとよばれる杭が立てられていた可能性があります。逆もぎが穴に落ちた動物に突き刺さり、にげられないようになっていたのでしょう。

 山ノ下遺跡周辺は、縄文時代には狩猟場として利用されていたことがわかりました。

落とし穴(1027土坑)を完掘した様子

落とし穴の使用方法(イメージ図)

2016年11月14日

 弥生時代中期(約2200年前)の土坑がみつかりました。規模は、長さ約2m、幅54cm、深さ12cmで、やや細長く、溝状の形をしています。この土坑からは、壺と甕の破片がまとまった状態で出土しました。

弥生時代の壺と甕が出土しました


遺跡周辺の様子(東から撮影)
2016年11月5日

 調査区南側では合計7棟の掘立柱建物がみつかりました(北側の調査区と合わせると、18棟)。

 いずれも、平安時代の終わりごろから鎌倉時代(約950〜700年前)のものと考えています。

 今日は、南側の調査区でみつかった掘立柱建物の完掘写真撮影を行いました。今回はドローンも登場して、同時に空中撮影も行いました。

ドローンを使って撮影しました


掘立柱建物13完掘状況(北から撮影)
2016年10月28日

 掘立柱建物13の調査を行っています。出土した土器から、平安時代の終わりごろから鎌倉時代(約950〜700年前)の建物であることがわかりました。柱穴には掘り直した痕跡があり、建て替えが1回行われたことがわかりました。柱穴の中には柱が残っていたものもありましたが、多くは建物が使われなくなったあとに柱が抜き取られていました。

 柱穴には、柱をしっかりと固定するために柱の周りに土と石を詰めて埋めたもののほか、建物の重みで柱が沈まないようにするために、柱の下に大きな石を置いたり、柱穴の底に拳大の石を敷き詰めたりしたものがありました。

 このように、かなりしっかりとした構造の建物であることがわかりました。

柱の周りに土と石を詰めて固定しています

柱の根本が残っていた柱穴


皿が出土した様子

柱の下に大きな石を置いています


柱穴の底に拳大の石を敷き詰めています


掘立柱建物13検出状況(北から撮影)

2016年10月12日

 掘立柱建物13と名付けた5間×5間(約12×12.3m)の規模がある総柱建物が見つかりました。推定される床面積は147.6u(畳約90畳分)で、大型の建物です。

 これから、柱穴の調査を進めていきます。どんな発見があるか、とても楽しみです。
2016年10月7日

 南側の調査区からも掘立柱建物がみつかりました。今回見つかった掘立柱建物12は盛り土をして整地した上に建てられており、建物の周りには浅い溝(666溝)が掘られていました。

 この溝からは、土師器の皿が重ねられたような状態で出土しており、なんらかの祭祀行為が行われた可能性があります。

掘立柱建物12・666溝(西から撮影)


皿が重ねられたような状態で出土しました


遺跡周辺の様子(南西から撮影)


遺跡周辺の様子(南東から撮影)

2016年9月30日

 本日、ラジコンヘリコプターを使用し、空中からの写真撮影を行いました。高い高度から撮影することで、どのような地形の中に遺跡が存在しているのかよくわかります。

 10月14日には調査区北側の調査を終了し、その後は調査区南側の調査に全力投入です。調査期間は11月末までのあと2か月。ラストスパートでがんばります!
2016年9月15日

 引き続き、調査区北側を調査しています。

 8月10日の記事では、4棟の掘立柱建物が見つかったことをご報告しましたが、その後も掘立柱建物が見つかり、現在までに11棟(掘立柱建物1〜11)になりました。

 見つかった掘立柱建物には、建物が使われなくなった際に柱を抜き取っているものが多く、柱を抜き取った穴の中に、土師器(素焼き)の皿や坏などを入れて埋め戻しているものもありました。

 柱を抜き取った穴からみつかった土器は、ほぼ完存するものが多く、なかには、皿が2枚重なった状態で出土したものもありました(掘立柱建物9)。土器は、地鎮などの祭祀行為のために埋められた可能性が考えられます。 

掘立柱建物6(南東から撮影)


掘立柱建物6遺物出土状況

掘立柱建物11完掘状況(南東から撮影)


掘立柱建物11遺物出土状況


掘立柱建物9完掘状況(南東から撮影)


掘立柱建物9遺物出土状況
(皿が2枚重なった状態で出土しました)

掘立柱建物の平面図


調査区北側の掘立柱建物(北東から撮影)


総柱建物(掘立柱建物2)


柱が残っていた穴

2016年8月10日

 現在、平安時代終わりごろから室町時代にかけて営まれた集落の調査を行っています。

 これまでに、4棟の掘立柱建物(ほったてばしらたてもの)が見つかりましました。その中には、廂(ひさし)付きの建物(掘立柱建物1、4)や、倉庫などに使われたと考えられる総柱建物(そうばしらたてもの)(掘立柱建物2)が含まれていました。

 なお、建物の柱穴の中には、柱の根元部分が残っているものもありました。
2016年7月1日

 山ノ下遺跡で初となる遺構が見つかりました。記念すべき1番目の遺構は、室町時代(約600年前)に耕作されていた田んぼです。畔(あぜ)などは削られて無くなっていましたが、田んぼの区画がわずかに残っていました。

 また、牛とみられる動物の足跡が無数に残されている場所もみつかりました。区画ははっきりとわかりませんが、こちらもおそらく田んぼの跡だと考えています。牛の力を借りて、耕作を行っていたのでしょうか。
 

田んぼを検出した様子
(白線部分が田んぼの区画です)


牛(?)の足跡がたくさん見つかりました


見つかった紡錘車

2016年6月28日

 発掘作業中に面白い石の道具が見つかりました(写真参照)。
 形は上から見ると円形で、中心に孔(あな)が開いています。横から見ると下側が広がった台形をしています。子供が大好きなプリンのような形といえばイメージしやすいでしょうか。なお、側面には溝を刻んで山形の文様が描かれています。
 これは紡錘車(ぼうすいしゃ)と呼ばれる道具です。中心の孔に軸となる棒を差し込み、軸の先に植物の繊維などを絡めて回転させて、一定の強さで撚り(より)をかけて糸を作ります。
 この近くで糸を作っていたのでしょうか?
2016年6月10日

 今日から、本格的な発掘調査が始まりました。

 まずは、土の表面を「じょれん」という道具で薄く丁寧に削り、平らにしていく作業からスタートです!

 土の表面を薄く丁寧に削ると、土の色や質感の違いがよくわかり、遺構(いこう:人々のくらしの痕跡)を見つけることができるのです。

 調査は、北側から南側へと順次進めていく予定にしています。
 これから夏に向けて暑い日が多くなると思いますが、熱中症に気をつけながら、がんばります!!

山ノ下遺跡平面図


遺構を探しています


調査前の地形


表土を取り除いている様子

2016年6月3日

 6月1日より、山ノ下遺跡の調査を開始しました。

 現在は、表土(現在のたんぼの土)を重機で取り除いています。重機で30〜50cm程度掘り下げると、中世(800〜400年前)の建物の柱穴などが残っている地層があらわれました。

 重機によって表土を取り除いたあとは、いよいよ発掘作業員さんたちの出番です!!
2016年5月23日

 当財団調査室では、平成28年度に国道313号(倉吉関金道路)道路改良工事に係る埋蔵文化財調査として、山ノ下遺跡(倉吉市)の発掘調査を実施することになりました。
(6月1日開始予定)。

 山ノ下遺跡では、事前の調査で弥生土器や中世の陶磁器などが見つかっています。また、柱穴(はしらあな)も見つかっていることから、弥生時代や中世の集落跡が存在すると考えられます。

 調査の様子は、このホームページで随時、ご報告していきます。

 なお、調査を行うに当たっては近隣の方々にご迷惑をおかけしないよう気をつけながら進めて参りますので、ご協力をお願いいたします。

山ノ下遺跡の位置