2012年8月14日 8月10日をもちまして、現地での発掘作業が完了しました。高住地区のみなさまのご協力に感謝いたします。 調査が完了した縄文時代の川の跡には、雨と湧水によって水が溜まっています。数千年前にもこのような風景が広がっていたのかもしれません。 |
|
2012年8月6日 高住平田遺跡では、7月9日の記事で紹介したような石錘など、丸い石を加工した石器がたくさんみつかっています。 右の写真は、石錘やハンマーとして使った丸い石がまとまって出土している状況です。 |
|
右の写真は、石器のように加工されたものではなく、自然のままの丸い石が、川の底からまとまって出てきたものです。 石器に使えない石をまとめて捨てたのでしょうか。 |
|
2012年7月23日 調査も進み、たくさんの遺物がみつかってきました。 左の写真は土器の口縁部(ふちにあたる部分)です。 土器の形や文様から縄文時代中期(約5000年前)のものと考えられます。 粘土紐を波形に貼り付け、その上を棒状の工具で突いて丸い文様を点々と付けています。 |
|
ふちの部分には、貝殻の背を押し当てて文様にしています。貝殻は幅が1p位の小ぶりのものです。 こうした土器の文様からは、縄文人の美意識をうかがうことができます。 |
|
2012年7月10日 縄文時代中期頃(約5000年前)の地層を除去していくと、縄文時代前期から中期にかけて流れていたと考えられる川の跡がみつかりました。 川を埋める砂の中からは、土器や石器がみつかっています。 |
|
2012年7月9日 縄文時代の地層からは、平たい川原石の両端を打ち欠いたものがよくみつかります。 これは石錘といって、魚を取る網のオモリや、編み物をするときのオモリに使われたものと考えられています。 高住平田遺跡では、石錘が2個1組になって出ることが多く、どのような使われ方をしたのかを検討するためのよい資料となりそうです。 |
|
2012年6月28日 遺跡でみつかるのは、建物や墓など、大昔の人が造ったものだけではありません。 洪水や火山の噴火など、自然災害の痕跡も多くみつかり、当時の生活や自然環境に影響を与えた様子がうかがえることがあります。 高住平田遺跡では、大昔に起きた地震の痕跡がみつかりました。 上の写真は、砂層が液状化して起こる「噴砂(ふんさ)」。昨年起こった東日本大震災では千葉県の海浜部などで地盤沈下などの被害をもたらしました。 |
|
下の写真では、地面に不思議な模様がみえます。これは地震動によって地層が斜めにゆがんでしまったため、模様のようにみえているもので、地震の力の強さを物語ります。 これらの地震の発生年代については、自然科学的な分析も取り入れながら明らかにしていきたいと思います。 |
|
2012年6月20日 縄文時代の地層を掘り下げていくと、特徴的な形の足跡がみつかりました。 ジャンケンの「チョキ」の形をした足跡は、山登りなどをする方にはお馴染みのシカの足跡だと考えられます。 みつかった場所は、遺跡の中でも少しくぼんだ場所でした。数千年前に水を飲みに来たシカたちが残した足跡でしょうか。 |
|
2012年6月14日 調査も進み、現在は縄文時代の地層を掘削しています。 細かい土器の破片を丁寧に残しながら掘り下げていくのは大変ですが、美しい模様のあるものや、大きな土器片がみつかったときなどは、作業員さんもいつにも増してうれしそうです。 |
|
2012年6月5日 古代の水田と考えられる地層の上から掘り込まれる溝の中から、銅銭がみつかりました。 銅銭は、当時の中国にあった唐という国で1400年ほど前から造られ始めた「開元通寳(かいげんつうほう)」というお金です。 当時の中国との貿易を通じて日本にもたくさん入ってきたため、遺跡で見つかることはそれほど珍しくありませんが、今回見つかったものはサビも少なく、残りがいいものです。 |
|
銅銭の近くからは動物の歯がみつかりました。ウシかウマの臼歯とみられます。胴体の骨はみつからなかったので、おまつりやおまじないのために溝の中に入れられたのかもしれません。 青くなっているのは、歯に含まれるリン分が酸素と反応して発色しているためです。 |
|
2012年5月24日 洪水などで川からあふれた土砂を盛り上げて作った田んぼの畔がいくつもみつかってきました。みつかった地層から、奈良時代から平安時代にかけての水田跡の可能性があります。 |
|
2012年5月14日 遺跡の表面を覆う新しい時代の土をショベルカーで掘り下げます。 高住平田遺跡の地中には、どのような先人のくらしが眠っているのでしょうか。 いよいよ本格的な調査の開始です。 |