良田平田遺跡で中国地方最古の文書木簡を発見

 平成24年度の良田平田遺跡の発掘調査で、飛鳥時代終わり頃(7世紀末〜8世紀初頭)の穴(ピット)から中国地方最古の文書木簡(もんじょもっかん)が出土しました。
 
 細長い板の両面に文字が墨書きされていますが、肉眼ですべての文字を判読することは困難でした。そこで、赤外線カメラで撮影・観察した結果、以下の文字が書き記されていると判明しました。

<釈文註1>

 【表】・「 □ □ □ 御 前 □〔謹〕 白 寵 命 □
 【裏】・「 使 孔 王 部 直 万 呂 午 時

 ※□は木簡の釈文標記に係る符号で、欠損文字のうち字数が推定できるもの。

 「□□□(人名か?)御前(謹)白」(某の<御>前に(謹みて)白す)の書式で書き出す文書木簡で、「前白木簡」ともいわれるものです。この書式は、大宝令(701年制定)の施行により解(げ)註2や牒(ちょう)註3といった文書様式が整えられる前の7世紀末を中心とした時代に多用されたもので、口頭伝達を文書化したものといわれています。

 「寵命」は前白木簡によく見える文字で、「寵命坐」の形で”上級者の命令をお伺いして”程度の意味で用いられ、この後に要件や品目が続く場合もあります。

 裏面には「使」に続き、人物の姓名「孔王部直万呂あなほべのじき(なお)まろ)」や「午時うまのとき)」(=昼の12時を中心とした前後2時間)といった文字が見られます。「孔王部直万呂」が物品の受け取り等の要件の使者で、類例からみて「午時」は文書の発信時刻(”お昼頃”程度の意味)かと考えられます。


 今回出土した木簡は文書の様式から7世紀末〜8世紀初頭頃のものと考えられ、地方の役所間でやりとりされた後、廃棄されたものと推測できます。同じ時期に相当する掘立柱建物跡や硯(すずり)も見つかっており、この地に役所に関連した施設が存在していた可能性が高いと考えられます。

 今回記者発表した木簡をはじめとする良田平田遺跡の出土品は、鳥取県立博物館「歴史の窓」コーナーで3月6日(水)から4月7日(日)まで展示します。

※文書木簡の実物展示は、遺物保護の関係上3月10日(日)までの5日間となります。3月11日(月)以降は、平成23年度に出土し、保存処理の完了した歴名(れきみょう)木簡を展示します。

※会期中に休館日はありません。入館料(常設展 一般180円)が必要です。
 
なお、事前に記者発表を行いました。

 その資料はこちら→ 記者発表資料1(PDF313KB)・記者発表資料2(PDF466KB
 
 会場・開館時間のご案内→ 鳥取県立博物館ホームページ


註1 釈文(しゃくもん):読みにくい筆跡や漢文を、読みやすい字体・文体に直したもの。しゃくぶん。

註2 解(げ):古代の文書様式の一つで、下位の役所が上位の役所へ上申する文書。

註3 牒(ちょう):古代の文書様式の一つで、内外の主典(さかん:律令制の最下位の役人)以上の役人個人が諸司(郡司や国司など)に対して上申するために用いるとされているが、実際には上下関係のない役所間で用いられるなど、多様な使い方がされている。 
 
                                     ※写真撮影・釈読 : 独立行政法人国立文化財機構
                                          奈良文化財研究所
良田平田遺跡から出土した文書木簡
展示風景
 
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