土を洗ってフルイにかけるとお米がみつかることがあります。炭化して色が黒く変わっていますが、形は現代のものと変わりありません。
&310;遺跡の土を顕微鏡でのぞくと、イチョウの葉のような形をした透明なものがみつかります。これは稲の葉に含まれる成分で、プラントオパールと呼ばれています。
約0.05㎜と小さなものですが、たくさんみつかる場所は、田んぼであった可能性があります。

日本での本格的な米作りの始まりは、弥生時代(約2500年前)にさかのぼります。遺跡の発掘調査では、水田の畦のほか、クワ、スキ、石包丁といった農具などがみつかることがあります。
 時にはお米そのものや、「プラントオパール」と呼ばれる微小な成分がみつかったりします。これらはとても小さいため、遺跡の土を洗ってフルイにかけたり、顕微鏡を使って探し出す必要があります。

 古代、日本は「瑞穂の国」と呼ばれ、鳥取県東部を指す「因幡」は、「稲葉」とも書かれたようです。
 日本人の文化や社会の形成にお米の果たした役割は大きく、その起源を知ることは、大きな意義を持ちます。

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