2019年2月26日〜2月28日

 遺跡からもっとも多く出土するのは、甕や小皿などに使われていた土師器(素焼きの焼き物)や、煮炊きに使用した瓦質土器の鍋・羽釜、鉢などの生活用具です。
 瓦質土器とは、低温で素焼きをし、焼成の最終段階に煙をいぶして表面に炭素を吸着させた土器で、中世からよく使われるようになります。
 輸入された陶磁器のような貴重品は後世に引き継がれることも多いため、遺跡の時期を考えるためには、日常道具である土師器や瓦質土器で年代を特定していくことが重要になってきます。

 このため、中世土器の専門家である橋本久和先生にお越しいただき、土師器や瓦質土器についてご指導をいただきました。

 1点1点を詳しく観察していただいた結果、土師器の皿の中に京都のものを意識して似せた皿があること、鍋・羽釜といった瓦質土器が摂津・山城地域のものとよく似ており、大半が13世紀後半頃のものであることが分かりました。
 このような日常の土器は、遺跡や遺構の時期を知るために重要な遺物であることから、詳しく観察し、今後も調査を続けていきたいと思います 。


 

調査指導の様子
   
   
2019年1月22日〜1月24日

 山ノ下遺跡では中国などから輸入された陶磁器(貿易陶磁)が多数出土しています。遺跡を評価する上で、いつ頃のもので、どんな種類の貿易陶磁が出土しているのかを明らかにする必要がありますが、出土品はほとんどが破片であるため、判断がとても難しいです。

 そこで、貿易陶磁専門の研究者である山本信夫先生にお越しいただき、山ノ下遺跡から出土した陶磁器についてご指導をいただきました。

 小さな破片も含め1点1点丁寧に見ていただいた結果、出土した白磁の大半が12世紀代のものであること、越州窯青磁の可能性がある壺や水注などの把手が出土していることが分かりました。

 今後は、報告書に掲載する実測図の作成などを進めていきたいと思います。
 

 
調査指導の様子
   
   
2019年1月15日

 現地での調査が終了し、本格的に調査成果の整理が始まりました。土器片などの接合や実測、現地で作成した図面の製図や撮影した写真の整理を行い、報告書を作成する準備を進めています。

 今年度と平成28年度に撮影した航空写真を合成したところ、調査区南側で見つかった大型の掘立柱建物群の姿が一目で分かる写真ができました。
 建物同士が近接してはいるものの重ならないように造られており、掘立柱建物13と19、掘立柱建物12と20は柱の筋がほぼ同じで、同時期に建っていた可能性が高いと考えられます。  

  
平安時代終わり頃の掘立柱建物群
(平成28・30年度撮影航空写真を合成)
   
   




 山ノ下遺跡全体図
2018年12月27日

 遺構の掘削作業は、12月20日に終了しましたが、残りの測量作業や、機材の撤収を行い、山ノ下遺跡の調査が本日ですべて終了しました。

 今回の調査では、平安時代の終わりから鎌倉時代の掘立柱建物5棟(平成28年度調査で確認していた建物の延長部分も含む)がみつかったほか、弥生時代中期の土坑や溝、縄文時代のものと考えられる落とし穴などを確認しました。

 これらの遺構のうち、特に目を見張るのが大型の建物である掘立柱建物12・13・19・20です。
 同時期の建物としては県内で類をみないほどの規模を誇り、当時の貴重品である青磁や白磁(中国からの輸入品)が出土していることから、山ノ下遺跡周辺の地域を治める有力者の関連施設であると考えられ、地域の歴史を解明するうえで、非常に重要な発見となりました。

 今後は出土品の整理を進めるとともに、調査成果を報告書にまとめる作業を行っていきます。作業を進める過程で新たな発見がみつかったときには、随時、ホームページでお知らせいたします。


調査中は、地元の方々をはじめ、多くの方々にご協力をいただきました。ありがとうございました。
   
   
2018年12月19日 

 弥生時代中期(約2200年前)の溝(250溝)を調査しました。

 250溝は平成28年度調査でもみつかっており、総延長が196m以上の長大な溝であることがわかりました。
 溝の底には砂がたまっていることから、雨水等がわずかに流れる環境にあったことがわかります。

 この溝からは、壺や甕といった弥生土器のほか、石庖丁や石鍬といった石器も出土しています。
     

         
         H30年度調査区北側のようす(南西から撮影)   H30年度調査区南側のようす(北東から撮影) 

                  H28年度調査区のようす(南西から撮影)
 
 
土器の出土状況                    石庖丁の出土状況
 
 
石鍬の出土状況
 
250溝全体図
   
   
 
遠景写真(北東から撮影)


近景写真(北西から撮影)
2018年11月18日 

 遺跡の立地や大型建物の全景を記録するため、
ラジコンヘリコプターを使用して、航空写真撮影を行いました。

 高所から撮影することで、山ノ下遺跡が小鴨川の西側、天神野台地の東側裾部の安定した土地に立地していることがよくわかります。

 天候に恵まれ、遺跡の西側には大山を望むことができました。
   
   
2018年10月29日 

 山ノ下遺跡では、動物を捕獲するために掘られた落とし穴が19基(H28年度:8基、H30年度:11基)みつかっています。
 遺物は出土していませんが、おそらく縄文時代のものと想定しています。

 みつかった落とし穴には平面形が楕円形のものと、長方形のものがあります。なぜ、形が違うのでしょうか・・・?
 落とし穴が作られた時期が違うから?捕獲する動物の種類が違うから?
などの理由が考えられますが、はっきりとはわかりません。

 落とし穴の底には動物を確実に捕獲するために、「逆もぎ」と呼ばれる杭状の構造物が設置されていたと考えられており、
山ノ下遺跡でみつかった落とし穴の底にも逆もぎが設置されていた痕跡(穴)が確認できます。
  
  
長方形の落とし穴                   逆もぎの痕跡(穴)を検出

  
逆もぎのイメージ                     楕円形の落とし穴 
   
   

掘立柱建物12・20の検出状況 北から撮影
(白線:掘立柱建物12、黄線:掘立柱建物20)
2018年9月12日 

 2棟の掘立柱建物12・20を検出しました。

 掘立柱建物12の一部は平成28年度調査で確認されており、今回の調査により、建物全体を確認できました。建物の大きさは約20.6×6.5m(9×4間)で、想定よりもかなり大型の建物であることがわかりました。

 掘立柱建物20は今年度新たにみつかった建物です。大きさは約8.5×8.1m(4×4間)あり、こちらも大型の建物です。

 掘立柱建物12・20ともに庇が付く建物であることから、格式が高い建物であると考えられます。

 現在、両建物の柱穴の調査を行っています。建築から廃絶までの様子を明らかにするとともに、当時の暮らしの様子を明らかにしたいと考えています。
   
   
  2018年8月23日

 掘立柱建物が多数みつかっているエリアの西側で、溝がみつかりました。

 土層断面の観察から、水が南から北に向かって緩やかに流れていたことがわかりました。溝の中からは、粉ごなになった多量の土器が出土しました。

 溝は掘立柱建物群との距離が近いことから、建物に住んでいた人々が何らかの理由で廃棄したものと想定しています。
 
↑溝から大量の土器が出土しました
   
   


↑柱穴に土器が納められていました
 2018年8月1日

 掘立柱建物の柱穴から、土師器の坏2つと柱状の高台が付く皿が1つ出土しました。
 坏は2つ重ねたような状態でみつかり、そのうち1つはほぼ完存していました。

 これらの土器は、建物が使われなくなったのちに柱を抜き取り、その抜き取った穴の中に納められたものであることがわかりました。
 建物を廃棄する際に祭祀を行ったと考えられます。

 このような柱穴に土器が納められた例は平成28年度調査でもたくさんみつかっており(2016年9月15日記事)、建物を建てる際だけではなく、建物を廃棄する段階にも祭祀を行っていたことがわかりました。
 
   
   
 2018年7月25日
 
  一昨年の調査で見つかった溝の続きが見つかりました(666溝)。

 建物に沿って溝が見つかっていることから、建物を区画する意図があったのではないかと考えています。

 溝の中からはたくさんの土器が出土しています。
大半は小片ですが、元の形に復元できそうなものも数点含まれていました。



        
               666溝 遺物出土状況


↑遺物を残しながら、丁寧に掘り下げています



↑比較的残りの良い土器も見つかりました
   
 
 
↑溝の調査風景


溝の底から見つかった木材
 2018年7月23日
 
  調査区を横断する溝を検出しました。

  出土した遺物から、江戸時代頃に機能していたものと考えられます。
 溝の底ほぼ全面に直径5cm程度の木材が出土しており、溝の軸に沿って並べられたような状態で見つかりました。田んぼに関わる水路か暗渠などの可能性が考えられます。

 現在も遺跡周辺は田園風景が広がっています。当時も同じような景観が広がっていたのかもしれません。
   
   
2018年6月28日
 
  5月28日から現場作業員さんに来ていただき、本格的に調査が始まりました。

 写真は、土を丁寧に削り、遺構を探しているところです。

 今年はどんな遺構が見つかるか、楽しみです。
 
遺構検出の様子
   
   

表土剥ぎのようす
2018年5月10日
 
 本日から、表土剥ぎを開始しました。

 表土剥ぎは現代の田んぼの土(表土)を重機で取り除く作業です。調査員の指示のもと、重機で慎重に作業を進めます。
 表土を約20〜40cm掘ると、遺跡が残っている地層が現れます。表土剥ぎが終わると、人の力で掘り進めていきます。

いよいよ発掘作業員さんの出番です!!
   
   
2018年5月1日

 澄み切った青空に鯉のぼりが気持ちよく泳いでいる姿を目にする季節となりました。

 さて、(公財)鳥取県教育文化財団調査室では、昨年に引き続き国道313号改良工事に伴う発掘調査を実施します。
 今年度は、山ノ下(やまのした)遺跡の調査を行います。
 山ノ下遺跡は平成28年度にも調査を実施しており、今回は平成28年度調査区のすぐとなりの地区を調査することになりました。

 平成28年度調査では平安時代から鎌倉時代の集落跡が見つかっており、1辺約12m(5間×5間)の大型建物跡が検出されたほか、中国から輸入された貿易陶磁(ぼうえきとうじ)などの遺物が出土し、この地に有力者が存在したことがうかがわれ、地域の歴史を解明する上で、重要な遺跡であることがわかってきました。今年度の調査でも、新たな貴重な発見があるものと期待しているところです。

 調査の様子は随時このホームページでお伝えしていきたいと考えています。


       
            平成28年度に検出した建物群
               (南東上空より撮影)




平成28年度に出土した遺物
(弥生時代から室町時代の遺物)

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