平成25年度
良田中道遺跡
 


2013年11月29日 

7ヶ月余りの発掘調査も今日で終わりです。
調査で使っていたものはすべて片付けました。発電機や重機の騒音が止まり、人の気配がなくなった遺跡には、道路工事が始まるまでのしばらくの間、これまでの騒々しさが嘘のような静寂の時が流れることになります。

現場作業は終了しましたが、これから室内作業が本格的に始まります。
年度末に向けて、発掘調査で見つかった土器や石器などを洗って、図にしたり、写真を撮ったりして、報告書にまとめていきます。


2013年11月21日

調査もいよいよ最終段階です。
調査の最終面である第10面(縄文時代後期:約4,000〜3,000年前)をラジコンヘリコプターを使って空から撮影しました。
良田中道遺跡と湖山池や周辺の丘陵との位置関係がよくわかります。


2013年11月16日 

第9面(縄文時代後期:約4000年〜3000年前)を調査した様子です。
調査区の向かって右側を中心に木がたくさん倒れているのがお分かりでしょうか。
当時は森林が谷の中にまで広がっていたことがうかがえます。


2013年11月1日

地層を観察するための溝を掘っていると、平べったい石が出てきました。
よく見ると、一部が欠けています。これは縄文時代の魚捕り用の網などに使うおもり「石錘(せきすい)」です。
平成24年に調査した高住平田遺跡でもたくさん出土しました。

(参考:高住平田遺跡(2012年7月9日))


2013年10月31日 

この日も土器がごろごろと出土しました。
写真はその中でも変わった一品。
真ん中に「の」の字のような模様があり、そのまわりには縄でつけたような細かい模様がびっしりと施されています。



2013年10月18日

縄文土器の破片がまとまって出土しました。
表面には縄でつけたような模様がきれいに残っていました。







後日、洗って破片どうしをくっつけると・・・



上半部は残っていなかったものの、こんなかわいい形になりました!


2013年10月4日 

第8面(縄文時代後期:約4000〜3000年前)の様子です。

谷の中を縦横無尽に走る川の跡がよく分かります。


2013年9月24日

縄文時代終わり頃(約2500年前)の地層から、土器のかけらが数カ所まとまって見つかりました。
何かの跡でしょうか?
今後の調査で確認していきます。


2013年9月4日 

鳥取市は記録的な大雨に見舞われました。
そのため、現場は水没・・・。

明日は復旧作業から開始です。トホホ(;;)


2013年8月28日

調査区の東端で見つかった縄文土器の川跡から、「トチノミ」がたくさん出てきました。
人が食べた痕跡はありませんが、遺跡近くにトチの木が生えていたことは間違いありません。
きっとこのあたりに住む縄文人が採って食べていたことでしょう。


2013年8月22日 

まだまだ暑い日が続きます。
調査区の周りに、土がどのように堆積していったかを確認するための溝を掘り下げていると、大形の縄文土器(縄文時代終わり頃:約4000〜3000年前)の破片が出土!
周辺で縄文人が活動していた痕跡が見つかるかもしれません。


2013年8月9日

調査区の東側で、大きな川跡を確認しました。
最初に南から北へ流れる浅い川ができ、その後、南から東へ流れる深い川ができたと考えられます。深い川からは、土器のかけらや木の実などが見つかりました。
川が流れていた時代は、土器の文様の特徴から、縄文時代の終わり頃(約2500年前)と考えています。


2013年7月11日 

調査区の南側で、建物の痕跡(掘立柱建物跡)を見つけました。柱穴は4つあり、約3m×約2mの広さの小さな建物です。
周辺でも同じような小穴がいくつか見つかっていますので、この建物に関係のある例えば柵のような施設があったのかもしれません。


2013年7月1日

前回報告した溝調査の続きです。板材を用いた護岸施設を取り除くと、より古い木製構造物が見えてきました。打ち込まれた杭が並んでいるのがみえます。また、板材の他に木の皮も利用しているようです。こうした板と樹皮を用いた護岸施設のつくり方は、昨年度調査した高住井出添遺跡(弥生時代中頃)でも見つかりました。前回のものとは、組み合わせる材料や方向が異なっています。しっかりと記録をとりながら、造られた目的などを検討していきます。


2013年6月17日 

調査区の一番北の端で見つかった溝の中から複数の板材が顔を出しました。
これらの板材は、川岸に沿うように、横長の板材を打ち込んだ縦板で挟み込む構造になっていました。どうやら溝の岸が崩れるのを防ぐための護岸施設だったようです。
今後は周囲を慎重に掘り下げて、護岸施設としての構造などを詳しく調べていきます


2013年6月11日

左の写真は溝を掘りきった写真です。確認した溝の長さはおよそ45m。調査区内を何度も折れ曲がり、蛇行しています。

この溝以外にも、いくつか溝が見つかっており、調査区内は水の通り道であったようです。


2013年6月10日


調査区の端で溝が見つかりました。

さっそく掘削開始です。溝の大きさは幅約1m、深さ約20pで、浅めの溝です。どうやら調査区の中心を通る長い溝になりそうです


2013年5月30日

遺跡がどのように埋まっていったのかを確認した後、層ごとに土を掘っていきます。 それにしても、土が乾燥して堅いのなんの。遺構探しも一苦労。作業員さんの頑張りがあって、調査が進むのです。


2013年5月16日

調査区の周囲に排水用の溝を掘っているところです。この溝をあらかじめ掘ることで、雨や湧水などで調査区が水浸しになることを防止します。また、この溝は両側の壁で遺跡内の地層の様子を観察することができ、それを利用して遺跡がどのように埋まっていったかを理解することができます。 





2013年5月9日

調査区の端で、昨年度の調査で見つかった流路の続きが見つかりました。幅広の浅い溝の中にさらに細い溝があるのがわかります。
下の土が黒っぽくなっていますが、これは湿地のような環境にあったため、有機物が多く残っているためと考えられます。昨年度はここで板材を縦に並べた「木道」のようなものが見つかりました。


昨年度の流路調査については「発掘現場から」のリンク先をご覧ください。

(sokuho_yoshidanakamichi12/P7230009_02.jpg)


2013年4月22日

良田中道遺跡(1区)の発掘調査が始まりました。
良田中道遺跡は昨年度に中世までの調査が終わっており、今年度は古代(平安時代以前)やより古い時代の調査を進めていきます。
土を掘る前に、まずは冬の間に溜まった水をくみ出す作業をしました。そして、ベルトコンベアを運んで、効率よく調査ができるように並べていきます。